本当に運命は扉を叩いたの?~ベートーヴェン捏造

· 教養

皆さんの学校の音楽室にベートーヴェンの肖像画はありましたか。

 音楽の「楽」に聖なる人の「聖」、『楽聖』と呼ばれ、耳が聞こえなくなっても作曲を続け、「苦悩を突き抜けて歓喜へ!」「運命はこのように扉を叩く」とかそういった言葉でも知られるとっても英雄的な音楽家、みたいな一生を、学校の音楽の時間にちらっと習った記憶があるような……という人がほとんどだと思います。


 が、皆さんもご存じの通り、ベートーヴェンは耳が聞こえません。ワガママで偏屈な性格だった、とも伝わってもいます。なのに、こういったやたらかっこいい言葉が山盛り後世の私達の元にも残っています。これは一体、どういうことでしょうか。

 耳が聞こえなくなったベートーヴェンは『会話帳』というものを使っていました。つまり、お客様との筆談です。そのノートが現代まで残り、ベートーヴェンという人物像を形作る資料のひとつになっているわけです。つまり、ベートーヴェンがどんな人物であり、どんな会話を誰として、どんなことを言ったのか……この会話帳こそが音楽史上もっとも貴重な資料のひとつ、のはずなのです。


 しかしながら今回ご紹介する本書のタイトルは「ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく」。


 この本は音楽史上最大のスキャンダル、『ベートーヴェン会話帳改竄事件』について書かれた歴史ノンフィクションなのです。本書の帯にある言葉は『運命は、つくれる』。では運命を作った、つまり会話帳を改竄したのは誰なのか、何故そんなことをしたのか。

 それがこの本の主人公、アントン・フェリックス・シンドラー氏です。

 ほとんどの人が、えっ誰それ? となるでしょう。シンドラーはベートーヴェンの秘書として知られている、彼の生活の補佐役をつとめていた人物です。一体どんな人物か。世の中にはこんな言葉があります。


『アイドルはトイレになんか行かないもん!』


 ベートーヴェンは偉大な人です。間違いありません。しかし『人間的』にはどうだったのか。どんな本性だったのか。耳の聞こえない頑固で偏屈な作曲家。信じられないくらい素晴らしい曲を作り、信じられないくらい下劣で女たらし、ケチなところもある、ただのひとりの人間でしかないわけです。

 しかしながら、『アイドルはトイレに行かない』。見るに堪えないものは、消してしまえばいい。秘書で補佐役の自分にはそれが出来てしまう。会話帳の不都合な部分を改竄した男シンドラーは間違いなく、ベートーヴェンの崇拝者だったのです。

 つまり、会話帳にある不都合な下ネタ、たとえばベートーヴェンとその友人とのやりとり


「私の妻と寝ませんか? 冷えますからねえ」

(本文p20より)


 などという(現代なら大炎上まったなしの)部分に、上から線を引いて判読をさまたげようとした形跡があったりするのです。

 この会話帳の改竄が始まったのはベートーヴェンの死後になります。関係者や友人が、彼の身辺整理をし、伝記などを後世に残していこうとする時期になります。そう、この改竄された会話帳を元に、です。もちろん『誰よりも』ベートーヴェンに忠義を尽くした男、シンドラーも色々あって伝記を書くことになるのですが、そこにはこうあります。


「ベートーヴェンの生涯においてもっとも重要な事件のおきた時期に、いつも彼のそばにいて手助けできたのは私ひとりだけである」

(アントン・フェリックス・シンドラー『ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン伝』(第一版)より)


 そしてもうひとつ


「私には伝記の出版を急がない特別な理由があった。かつてこの大作曲家に対して罪を犯した多くの存命の人たちに注がれる、厳しくも正しい非難をやわらげ……」

(本文p166より)


 表向きは大人の配慮のような一文ですが、要するにシンドラーは、ベートーヴェンの『本当の人となり』を良く知る存命の人間たちが死ぬのを待っていた(!)、というわけです。

 かくて、ベートーヴェンの伝記を書くにあたって、関係者一同で誰が一番長生きし、証言し続けることができるかというなんとも壮絶なレースが火花を散らし始める、というわけなのです。

 『ベートーヴェンはかっこよく、偉大な作曲家であり、そういうイメージでなければならない』。だから会話帳に残っているお下品な情報はいらないのだ、と、シンドラーは音楽史上とても貴重なこの会話帳に記された『不要な』部分を焼き捨てたり、上書きしたりしてしまいます。

 そう、タイトル通り、シンドラーは名プロデューサーであり、嘘をついたわけです。


 嘘で塗り固められた『ベートーヴェン像』を守り抜く男シンドラーの、その罪の大きさとハラハラドキドキを、サスペンスな視点も交えつつ、あたかもウィーンのオペレッタのように、そしてクラシック音楽の敷居の高さ(実はそんなに高くないのですが、そう思われがちなのが悲しいところ)を軽やかに踏み越えるような、読みやすくフランクな文体で、軽妙に味わえるのが本書になります。


 年末といえばベートーヴェンの交響曲『第九』のシーズンです。

 間違いなく偉大で、間違いなくひとりの人間だったベートーヴェンの傑作を聴きつつ、その傍らにいた一人の『プロデューサー』にも思いを馳せながら、本書を読んでみるのはいかがでしょうか。


@akinona(あきのな)




【アマゾンリンク】