人が何かを思い出す瞬間は、この上なく美しい/『フォーガットン』

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映画を見ていると、ごく個人的な”ツボ”というものが浮かび上がってくる。たとえば私の知人の映画ファンが「電球の割れる様に感動する」と語っていたのを覚えているし、私は”人が人を一方的に見る”というのに弱い。たとえば今泉力哉『愛がなんだ』にて、ソファで眠る成田凌を二階からじっと見つめる岸井ゆきのの姿。思わず涙を流してしまうほど、あの姿は強烈だった。なぜかは分からない。ただ、私はそれが好きなのであって、そういった瞬間の含まれる映画のことを、積極的にひいきしていこうと努めている。

他にも、ジョン・マクティアナン『ダイ・ハード』や、ロバート・バトラー『乱気流/タービュランス』など、ずっと無線でやり取りをしていた相手が初めて姿を現す瞬間にも必ず泣いてしまうし、ごく単純に、逆光によって人物のシルエットが黒く浮かび上がるような瞬間を見ただけで興奮してしまう。まったく、映画を見るのが楽しくて仕方がないわけだが、その中でも、一際美しいと感じる瞬間がある。それは、人が何かを思い出す瞬間だ。




※これ以降、映画『フォーガットン』について、前半30分ほどの展開について触れています。大きなネタバレはありませんが、ご了承のうえスクロールをお願いします。




私がジョセフ・ルーベンの『フォーガットン』を初めて見たのは、おそらく16歳か17歳の頃だったろう。映画が面白かったか、面白くなかったか、そんなことはすぐに忘れたが、ある強烈なワンシーンが、そのあと10年以上も頭に残り続けている。それは、ドミニク・ウェストの、あの表情だ。


飛行機事故で9歳の息子サムを亡くしたテリー(ジュリアン・ムーア)。彼女は、専門医によるカウンセリングや、夫のサポートを受けながらも悲しみから立ち直ることができず、息子の映ったホームビデオを何度も繰り返し見ては空っぽの日々を過ごしている。ある朝、思い出の家族写真から息子の姿が消えていることに気付いたテリーは、夫を糾弾する。「サムの存在を無かったことにするなんてひどい!」。しかし、夫は疲れ切った表情でこう答える。「だから何度も言ってるだろ。俺たちには息子なんていなかった!



「はっ。何をふざけたことを……」と、毎日見ていたホームビデオを再生するテリー。写真なら簡単に加工できても、映像だとそうはいくまい。しかし、そのビデオに映っているのは夫だけ。なぜ?そんなハズはない。さらに、夫だけでなく、隣人や、担当のカウンセラーまで、私には息子などいなかったと証言する。もしかして、みんなでグルになって、息子の存在を無かったことにしようとしているんじゃ?

家を飛び出したテリーは、同じ飛行機事故で娘ローレンを亡くしたアッシュ(ドミニク・ウェスト)に会いに行く。しかし、そのアッシュにまで、「俺に娘なんていなかったよ」と突っぱねられる。そんなハズはない。サムとローレンは友達だった。この家にだって来たことがある。あなたが酒浸りになったのは、14ヵ月前からでしょう?「なぜそんなことを知ってる?」怪訝そうな顔を浮かべるアッシュに、テリーはさらに畳みかける。見て、この壁の落書きを。これは、あなたの娘が描いたものよ。この絵を見て、「ローレン」と口に出してみて。


言われたとおりに「ローレン」と口に出したアッシュは、そのままリビングへと戻る。すると家のベルが鳴り、アッシュの呼んだ警察官がテリーを拘束した。アッシュは、訳の分からないことをわめきたてる侵入者に向かって「君には治療が必要だ」と言い放つ。すると、彼女はじっとアッシュを見て、「みんな私の妄想だと言う。でも、あなたは?」。なんだ、気味の悪いヤツだ。まったく散々だったよ、と部屋に戻り、改めて壁の落書きを見る。ん?何かが引っかかる。ローレン……ローレン……


アッシュは急いで部屋を飛び出し、パトカーに乗せられたテリーのところへ走る。「彼女を離せ。彼女はおかしくなんかない!」。今度は自分が警察官に拘束されながら、すでに手錠をかけられているテリーに向かって叫ぶ。「思い出した。思い出したんだ!俺には確かに娘がいた!

つい熱くなって、あらすじが長くなってしまった。書いているだけでも涙がこぼれてくる。ドミニク・ウェストが、娘を思いだして崩れ落ちる瞬間……そして、ジュリアン・ムーアに向かって「思い出した」と叫ぶ瞬間……忘れることができない。人が何かを思い出す瞬間がツボになったのは、間違いなくこの映画による影響だ。なぜツボなのか、なぜここまで感動するのか、もちろん理由はよく分からない。ただ、この映画の美しさがそうさせたことには違いない。

ずっと息子のことを記憶し続けているジュリアン・ムーアの気高さもたまらない。何があろうと、自分が空っぽになってしまおうと、愛する人のことを忘れず、ただ思い出し続ける。たとえ息子が実在していないとしても、そんなことはもはや関係がない。ジュリアン・ムーアは、自分の記憶が偽りである可能性なんて1ミリも考えない。絶対に息子は存在したと信じ続け、息子を二度死なせることを何としても防ごうとする。その原動力は愛にほかならず、だからこそ、「みんな私の妄想だと言う。でも、あなたは?」と問いかける堂々とした表情が、このうえなく美しいのだ。


この映画は、評判が非常に悪い。私が初めて鑑賞した当時も、ニコニコ動画とかでバカにされていた。確かに、荒唐無稽な展開があったりはする。しかし、映画なんて荒唐無稽でナンボじゃないか。世紀に残る傑作!だなんて言うつもりはないけれど、みんなして笑いものにするような映画ではないはず。私は全力で擁護していくから、皆さんも是非本作をご覧になって、味方になってもらいたい。美しい映画であることは保証する。


ライター:城戸