tコロナ禍でロックダウンやステイホーム期間中、突如トレンドに爆上がりした妖怪。
アマビエ。
疫病を追い払うということで縁起物で担がれたが、こいつが果たして無病息災を願われて描かれたり、祀られたという印象はない。
その存在は古いらしく、江戸時代にはその絵が描かれてそれが現代に伝播した。
とはいえ、無病息災で祀られた神社もそんなに多くはなさそうだし、メディア(特に多分NHKか今のX(旧ツイッター))が騒いだからその存在が広く知らしめられたと考えるとひっそりしたい妖怪だった場合たまったもんじゃない。笑
そこで私は無病息災という体裁で多分こいつはある意味『ホモルーデンス』の遊びに翻弄された妖怪ではないか?と今回の仮説を立てる。
ホモルーデンスとはヨハン・ホイジンガというオランダの文化人類学者が唱えた人間の本質であり、それは人間とは「遊ぶ」存在であるということだ。
このアマビエは良い例で疫病対策のメタファーにはなったがそのご利益はそんなに求められてはいない。上賀茂神社にお参りに行くようなありがたみのスタンスはない。
だからこそ、クリエイターの遊び心をくすぐったのではないだろうか?
西鉄はこんな感じで萌に寄せていた。
それはさておき、それがいつの間にか大衆心理となり、伝播して無意味が普及していく。
いや人間が遊ぶ本質を持つとすれば無意味こそ伝播するのだ。
これは江戸時代の『ええじゃないか』運動と似た現象のようにも思える。
兎角理由はない。
理由はないが面白いからとりあえず乗ってみる。
これだ。
ただし、これが行き過ぎれば『ええじゃないか』のその後の悪影響からも分かる通り、悪い方向にエスカレートする場合もある。
これがフロムの『自由からの逃避』につながるのである。
しかし、大抵は大衆心理に乗っかってもエスカレートしない。
だからこそ、社会学で言われる危険な傍観者に自分がなる可能性もあるのだが、大体はそうもならない。
というわけで今のtik tokなどはイノセントな子の系譜なのである。
行き過ぎればアマビエは大衆の怒りの代弁者として黄巾の乱のような悪魔的な象徴にもなりえたがどうやらそれは回避できたようだ。
おかげでtik tokの系譜として文化が栄えた。
なのでアマビエは無意味だからこそ伝播し、疫病の象徴でありながら、tik tok文化を開かせた。
となると文化の根底はやはり無駄と無意味ではないだろうか?